初めてつげ義春の作品に出会ったのは、確か高2の頃、小学館から出ていた文庫本版の『ねじ式』と『紅い花』だった。現在出ている小学館文庫とは違ういわゆる旧版(装丁が司修)のほうだ。副題に「異色傑作選」なんて付けられていた。収録されている作品の時期は、つげ義春が多筆していた1960年代後半に『月刊漫画ガロ』に掲載されたものが中心だった。(現在の文庫ではガロ以降の作品も追加されている)
つげ義春を読むきっかけは、多分、同じマンガ好きだった学友(彼は手塚治虫好きだった)が本を貸してくれたから。パロディとして扱われることも多々あったシュール(なんか懐かしい言葉…)な作品『ねじ式』を、「こんなマンガもあるよ」という感じで本を貸してくれたと思う。(何も知らずにいきなり買ったりはしないはず)
確かに『ねじ式』は、そのシュールさ故に何かしらのインパクトはあったのかもしれないが、リアリティあるペンタッチのほうに惹かれたのかもしれない。リアルだけど非現実的な情景とリアルな女体(笑)の描画。
そんな『ねじ式』より印象に残ったのは『李さん一家』だった。淡々とすすむストーリーの果ての唐突なラストシーンにはぼか〜んとした。そしてマンガである意味を感じた。
それと共に惹かれたのは、いわゆる「旅もの」と言われる一連の作品。それまで読んでいたマンガが紙面を暴れまわる海原とすれば、これは静かに流れる河川のような。
そして、そこに描かれた時代から取り残されたような地方やひなびた温泉(湯治場)の情景、情緒、侘しさとストーリーのリアリティさが、自分も旅に出たくなるような気分にさせてくれるのだ。
逆に1970年代に描かれている「夢もの」(実際に見た夢をマンガにしたもの)は、わざとおかしなデッサンにしたりして作品のリアリティさを排除してみたり実験的なことをしたりもしている。
ただ、この時代で好きなのは『退屈な部屋』や『日の戯れ』といった「夫婦もの」かな。ほんわかした気持ちになるのだ。夫婦の着かず離れずみたいな関係もリアリティさを感じる。
ちなみに「通販生活」の最新号(2013年夏号)の表紙には『日の戯れ』の1シーンが使われている。(吹き出しのセリフは違うけど)
つげ義春を知った1980年代初頭には殆ど作品を発表していなかったので、過去のマンガ作品やエッセイ(つげの書く文章もいいものだ)などを読み漁ることになるのだけど、1984年に創刊された季刊マンガ雑誌「COMICばく」でリアルタイムの読者になれたのだ。この時期には、竹中直人によって映画化(1991年)された『無能の人』シリーズが有名だと思う。
しかし、1987年(通算15号)で売り上げ低迷とつげの心身の不調から廃刊になってしまった。それから現在までは作品は描かれていない。なんと既に25年以上にもなるではないか。
年数を数えてみて自分でもびっくりした。
今回、このブログを書くにあたって数年ぶりにいろいろな作品を読み返してみたのだけど、自分の中では色褪せていなかった。それ以上に自分の経年に合わせて新たに感じることもあったり。
つげ義春の作品は、一般的(?)には暗くて重いと昔から言われているけど、作品のユーモラスさの中にシリアスさが内包されていたり(逆にシリアスさの中にユーモラスさも内包されている)、リアリティ、登場人物の根底にある何かやつげの作家性に、僕はずっと魅了されるのだ。