いよいよ本格的に動き始めたMGA。
そして、インターネットという新たなメディアへと挑戦を始めた江川。
新しい案件、新しいクライアント。
今日へと繋がるMGAの小さな一歩をご覧ください。
●江川が振り返る当時の様子
当時、表紙の画像合成を手伝っていた雑誌の担当さんから、
「広告出しませんか? 1ページ丸ごとで、掲載料はいりませんので。」
そんな旨い話があるものかと思ったが、どうやら本当らしいのです。
走り始めたMGAが出稿した初めての雑誌広告。
何を書くべきか散々迷いましたが、当時の自分達にできることを並べることにしました。
「Graphic Design」
「Advertisement」
「Image Processing」
「Multimedia」
そこに僕が勝手に追加した一文、
「INTERNET Homepage Design」
具体的に何をするのかは分かっていなかった。
ただ新しい事を始めてみたいと思って付け足した一文。
今となっては、これが今日までに至るMGAの歩みの第一歩を作ったような気がします。
「広告を見たんですが…」
そんな電話がかかってきたのは、掲載後まもなくの頃。
僕らの広告の対向ページに出稿していた方からの、運命の電話。
当時ベンチャーだった人材サービス会社が新たなビジネスをスタートするので
ホームページ制作の部分で手伝って欲しい、そんな依頼でした。
「はい!(やったこと無いけれど)大丈夫です!(調べながら)やります!」
…いざ、案件の受注をしたものの、
紙媒体とは全く勝手が違い、すべてが手探りのホームページ制作。
また、誰にとっても未知・未経験な分野だけに、依頼主の要求もハードでした。
しかし、忙しさやわからない事だらけの不安よりも、
これから始まる新しい仕事にワクワクしていました。
なにしろほとんど誰もやったことがないチャレンジです。
そしてとにかく依頼は全て受け、調べては作り、うまく行かなくて悩んで、解決してまた作る。
そんな辛くも楽しいランナーズ・ハイにも似た毎日。
千本ノックの如く数日に1サイトのペースでホームページを作り続けました。
このころたくさん作ったお陰で、基礎力や発想力が身についたと思っています。
仕事の能力は、仕事でしか身につかないことを学びました。
その頃から、僕と同じようにインターネットという新たな世界に可能性を見いだした人たちが
次々に声をかけてくれるようになりました。
現在も取引が続いているクライアントの中には、
この当時声をかけてくれた人たちの会社も多数あります。
(みんな偉くなってしまいましたが…)
●この年の出来事
4月 DTPの達人(!)市川さん入社
○月 六番町での共同オフィスが手狭になり、ルート飯田橋ビルに引っ越す